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宮内窯

石見焼について

柳宗悦の著書「手仕事の日本」のなかで「荒くして強く、力を感じます」と描写された石見焼。石見地方で本格的に陶器の生産が始まったのは18世紀後半でした。とくに「はんどう」と呼ばれる切立の水甕は石見から全国に出荷され、最盛期には100軒を越える窯があったといいます。島根県西部地方には今から200万年前に堆積してできた良質な土が豊富にあります。石見焼の陶土は緻密で割れにくく、焼き上がると磁器に近い状態になり水漏れしないため、水甕などの容器に向いていました。また、石見地方は高い強度をもつ石州瓦の産地としても知られ、かつては瓦を焼く窯も多くありました。瓦の焼成の際には、県内で採取された来待釉を施し、1300℃の高温で焼成します。来待釉は鉄分を多く含むため、高温で焼くと表面が赤くなり、溶けた釉薬が防水の役割も果たします。さらに塩分や酸にも強いため、漬物などの貯蔵用の容器にも向いています。昭和30年代以降、プラスチック製品の台頭、上下水道の完備などにより水甕の需要が減少するとともに、瓦屋根の家屋も減少し、石見焼の窯元は数えるほどになってしまいました。

宮内窯

江津市二宮に位置し、1970年から続く石州宮内窯。当主の宮内謙一さんは、兄の窯である石州嶋田窯、小石原での修行を経て開窯。石見焼随一の大物づくりの名手として知られています。1985年からは息子の孝史さんが家業に入り、現在は二代目として宮内窯を継いでいます。石見地方の古い目片口(片口のすり鉢)を見た久野恵一さんが、宮内謙一さんに製作を依頼。宮内さんは「私は注文を受ければ何でもつくりますよ。それが職人というものです」と快く引き受け、その後さまざまな久野さん提案の器が生まれました。とくに硬質な石見の土の性質を生かしたポットや洋皿、角皿など白掛けのシリーズは現代の暮らしに合う新しい定番となりました。

嶋田窯

昭和10年に開窯された嶋田窯は、出雲の出西窯や湯町窯のような自立した窯とは異なり、昔ながらの窯業地の生産形態により発展したため、大量につくり低価格で販売する必要がありました。それを可能にしたのは、石見地方の陶土と嶋田窯の高い技術。石見焼伝統の「しの作り」(粘土をひも状に伸ばし、円を描きながら積み上げていく技法)で傘立てや甕などの大物をつくってきました。また、嶋田窯3代目の嶋田孝之さんは石見から消えつつある登り窯の復活に取り組み、石見で唯一登り窯を使う窯となりました。現在は息子の健太郎さんがろくろを回しています。moyaisでは久野恵一さんがプロデュースした蓋付きの塩壷や味噌甕、おろし皿をはじめとする日用雑器を取り扱っております。

特徴

陶土の性質から非常に硬く、衝撃や凍結に強く、酸・塩分などに強いのが特徴です。また、石見の隣に位置する出雲地方で採れる来待石からつくられる釉薬「来待釉」(きまちゆう)の赤茶色も特徴のひとつ。来待釉と他の釉薬の組み合わせにより、他には見られない独特な色の器が焼き上がります。また、来待釉を施して焼くと高温度で溶けるために防水の役割も果たし、撥水コーティングのような効果もあります。

魅力

甕や片口といった地域特有の伝統的なかたちと、ポットや洋皿など素材の強みを生かした新しいかたち、両方が石見焼の魅力です。

 

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