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倉敷緞通

倉敷緞通

倉敷緞通とは

昭和60年代、久野恵一さんとお付き合いのあった民藝関係者の自宅には必ずと言っていいほど倉敷緞通のマットが敷かれていたそうです。倉敷緞通の前身は、金波織(きんぱおり)という敷物。昔からい草栽培が盛んな倉敷周辺では、花筵(花ござ)などのい草製品を海外向けに生産していましたが、い草製品の輸入をアメリカが規制。その対抗策として開発されたのが、い草を紙で覆い絨毯のように織り上げた金波織でした。昭和の初期、岡山県早島町で花筵(花ござ)の製造を行っていた矢吹貫一郎が日本の和洋折衷の建物にも合う敷物として考案したこの金波織を柳宗悦が見て、「倉敷緞通」と名付けたのが始まりです。芹沢げ陲琉嫋△任△觴癖舛表地に施され、手仕事の温かみを帯び、どんな家具にもフィットするものとなりました。日本筵業により製造されていた倉敷緞通は、倉敷の特産品として全国的に人気を集め、戦争が始まるまでは海外へも輸出されていました。戦後は再び生産を再開し、昭和30年代から40年代にかけては注文に追い付かないほどの隆盛でしたが、原材料の高騰や職人の高齢化などが重なって1986(昭和61)年を最期に作られることもなくなってしまいました。平成3年(1991年)、中小企業の社長を中心メンバーとする「伝統産業復興研究会」が発足し、倉敷緞通の再興がはかられることになります。 その時、職人として一人飛び込んだのが瀧山雄一さん(当時22歳)です。ものづくりの経験は皆無に等しい瀧山さんでしたが数か月間経験者から教えを受けると、数人で仕上げていた工程を全て一人でできるよう機械を自作したり改良したりと工夫を加えていきました。現在も瀧山さんおひとりで芹沢意匠を継承し、倉敷の伝統を守り続けています。

特徴

倉敷緞通の製造は、まず素材作りから始まります。細いシン糸に少し太めの糸を巻きつけたリング糸が表地。い草に和紙を巻いたヌキが裏地。これを手織り機で織って、最後にミシンで縁を縫って仕上げるという、大変手間のかかる工程をを経ているものなのです。天然素材を用いることで、蒸れにくく埃も立ちにくいのが特徴です。

魅力

柳宗悦が倉敷緞通を「手仕事の日本」で取り上げたのは、長年の実用に耐える丈夫さと美しさを兼ね備えているからこそ。通気性があるため日本の気候風土で使われる敷物に適しているなど機能的にも優れています。心と体を癒すい草の香りや、どんなライフスタイルにも溶け込む意匠が魅力です。

 

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