「窯元をめぐる旅日記」の学生ライター、樫田那美紀さん。今回は沖縄にいくことになりました。
そこで旅の予習を兼ね、沖縄について書いてもらうことにしました。(写真は以前に僕が久野さんに同行して沖縄に訪れたときのものです。)
moyais 今野

投稿日 : 2015.2.5 記事 : 樫田那美紀 写真:今野昭彦

厳冬も過ぎ、日毎に太陽が暖かく感じられてゆく日が増えてきた二月。
大学生である私にとっての長い長い二ヶ月に及ぶ春休みが始まる。

中国地方、九州、東北…と、これまで「民藝」をテーマに旅し、
たくさんの作り手の方に会い、
たくさんの素敵なモノと出会うことができた。

これから始まる長い春休みのスタート。
それをはるばる海を越え太陽の国「沖縄」で過ごす、
なんていうそんな聞いただけで心踊るような計画がついに決定したのである。

さて、沖縄へ立つ前に沖縄の民藝「やちむん」について、訪れる手仕事の現場を中心に調べてみよう。
頭の中にもくもくと浮かぶ沖縄像にしばしうっとりとしながら、私は沖縄の民藝にまつわるある書物を開いてみた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 崙秒村北窯」―
沖縄本島中部の読谷(よみたん)村にある民窯のこと。

さかのぼること1978年(昭和53年)、読谷村に「やちむんの里構想」が起こったことがこの窯の始まり。
「やちむんの里構想」―それは「ゆいまーる(沖縄の方言で助け合い)」の精神に基づく、作陶に関わる者の「共同体」をつくろう、という沖縄の焼き物(やちむん)の未来を見据えた前向きな計画だった。

その後読谷では、もともと荒地となっていた元米軍用地を利用して、
沖縄県ではじめて人間国宝に選ばれた陶工、金城次郎(1925〜2004)の指導のもと9連からなる共同の登り窯が作られた。
そんな「やちむんの里構想」に賛同した作り手は大嶺實清、山田真萬、玉元輝政、金城明光、四名。
彼らの弟子たち、松田米司、松田共司兄弟、宮城正亨、興那原正守、が集まって、1992年県内で最大規模を誇る13連房の登り窯を築く。
それが現在まで続く「北窯」なのだ。
「構想」に賛同した師匠四名の窯場の北に位置しているから「北窯」と名付けたのだとか。
13連房の登り窯を年に5回も焚き続け、全国的にも人気のある窯場のひとつ。

「北窯」の中でも「moyais」監修者である「もやい工藝」久野恵一さんとの深い交流がある作り手が、松田共司さんだ。


(左は松田共司さん、右はもやい工芸の久野恵一さん。)

共司さんが成型し、奥様が絵付けするという夫婦二人三脚の珍しいスタイルをとっているそう。
数多く作り手が集まる沖縄を代表する作り手だ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「ゆいまーる」の精神で、作り手同士が材料や作陶法を一つの地域で助け合いながら発展させる……。
夏訪れた九州大分県の「小鹿田」を思い出させるような、温かくも熱気ある焼き物の「里」が私の頭に思い浮かんだ。

なんとこの春の旅で松田さんのもとを訪れることになった。
沖縄に根ざして作陶をする共司さんは手仕事への思い、沖縄への思いはどんなだろう。
奥様の鮮やかな絵付けはどんな手の動きで描かれているのだろう。
「やちむんの里」に吹く風はどんな匂いだろう。

数々の問いと期待が募る。
身体いっぱいに沖縄の太陽を受け止める準備が、少しずつ出来てきた。

(参考書物:『民藝の教科書 ,Δ弔錙拉觚況鯊析此慎很邨丹譟織哀薀侫ック社,2012)

※次回、沖縄での民藝をめぐる旅のレポートを掲載予定です。お楽しみに。

樫田那美紀
樫田那美紀
静岡在住の学生。
柳宗悦の著書との出会いをきっかけに民藝に興味を持つ。学生のうちに多くの手仕事の現場を見たい知りたいという想いから現在絶賛勉強中。

アーカイブ

第一回 小代焼 ふもと窯
第二回 小鹿田焼 ここは皿山。大分の秘境へ
第三回 星耕硝子 北の大地で出会う 煌く手仕事
第四回 読谷村北窯、学習帖
第五回 読谷村北窯 松田共司工房へ

トップページへ